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2026.09.30 アート

ソウルと光州で考えた韓国アートの現在 ― Frieze Seoulと二つの展覧会を訪ねて ―

作品を見るために旅をすると、それを支える人や街の姿も見えてくる。2026年9月、Frieze Seoul、光州ビエンナーレ、ソウル・北村の展覧会を訪ねた。売買の場で交わされる評価と、作品の前で自分の見方が変わる経験。その両方を行き来しながら、アートの活気を一時の賑わいで終わらせないものは何かを考えた。

1 韓国アートを支える社会と政策

主にアート鑑賞を目的とした韓国への旅は、ここ数年で5回ほどになる。繰り返し訪ねるなかで印象に残るのは、作品を見る機会の多さだ。政府の文化支援に、企業の美術館運営や展覧会への協賛、コレクターによる収集が重なる。ソウルには、ペースなど海外の有力ギャラリーも常設の拠点を構えている。[1]

映像や音楽を通じて韓国に関心を持つ人が増えても、それだけで美術市場が育つわけではない。美術には実物を見る場所が必要であり、展覧会や研究、批評による評価の積み重ねも欠かせない。海外から関心を集める力と、日常的に鑑賞する環境が、どこまで結びついているかが問われる。

2025年の政権交代を経た文化政策では、海外展開への投資とともに、文化の担い手と受け手への支援が注目される。文化体育観光部が2026年9月4日に公表した2027年度予算案は、前年度比22.6%増の9兆6,345億ウォンだった。美術に限らず、観光やスポーツなどを含む同部全体の金額であり、現時点では予算案である。[2]

案には、若者向け文化パスの対象を19~34歳に広げる施策や、芸術家の社会保険料・生活安定資金融資への支援拡充などが盛り込まれている。[2] 私が確かめたいのは、支援によって誰の行動が変わるかだ。初めて展覧会に行く人が増え、作家が次の制作に取り組めるようになるなら、その効果は一度の催事よりも長く残る。予算を投入した年だけでなく、その後も鑑賞や創作が続くかを見ていきたい。

2 Frieze Seoulで交わされる作品の評価

今年で5回目のFrieze Seoulは、9月2日から5日までCOEXで開催された。主催者によれば、30か国から125を超えるギャラリーが参加し、Kiaf SEOULとの連携も続いている。国際的なフェアと韓国の美術市場が、同じ都市、同じ時期に接続される構成だ。[3]

初日は、作品や市場に詳しいアートアドバイザーと会場を巡った。背景を聞いて作品を見直すと、最初の印象だけでは捉えきれなかった表現が見えてくる。会場や夕食の席では、各国の友人やアート関係者とも再会した。何に立ち止まり、なぜその作品に関心を持つのか。互いの見方を聞く時間も、アートを見に旅をする楽しみの一つである。

アートフェアの役割には、売買に加えて、離れた地域で育まれた評価を出会わせることがある。ある地域ではよく知られた表現も、別の地域から来た鑑賞者には初めての発見になる。背景を説明するギャラリーと、それを受け止める収集家や美術館の学芸員が集まることで、その評価が国境を越える可能性が生まれる。

今年新設された「Spotlight」は、従来の欧米中心の美術史では十分に位置づけられてこなかった20世紀の表現を、15の個展形式で紹介する。「Material Practice」は、素材や技法を通じて現代美術とデザインの関係を扱う企画だ。[4][5]

後者は、日本の工芸を考えるうえでも示唆的だった。技術の精緻さに加え、その素材や制作行為が、今日の生活や環境にどのような問いを投げかけるのか。そこまで伝えられれば、工芸にまだ馴染みのない鑑賞者にも、作品に近づく入口が生まれるだろう。

主催者の開催概要には、出展者のうち50を超えるギャラリーがソウルに常設の展示空間を持つとある。[3] 数日間のフェアの背後には、会期の外にも作品を見られる環境がある。何度も足を運ぶうちに、自分の好みが分かり、以前は通り過ぎた作品の前で立ち止まるようになる。そうした鑑賞の積み重ねも、次の展示を支えるはずだ。

一方、私が参加した一部のVIPイベントには、以前より落ち着いた印象もあった。ただ、限られた体験から市場全体の勢いや政権交代の影響を測ることはできない。海外ギャラリーの進出によって鑑賞機会が広がるとき、その交流が地元の作家やギャラリーにもどう届くかを見たい。韓国の作家が海外の展示や研究につながり、地元のギャラリーにも継続的な顧客が育つなら、国際化の成果は広がっていく。

3 光州で身体から社会を考える

光州ビエンナーレのオープニングに合わせ、ソウルから日帰りで光州へ向かった。第16回の題名は「You Must Change Your Life」。生き方の変化を促すこの言葉を、私は、自分の見方を問い直す呼びかけとして受け止めた。[6]

民主化の記憶を持つこの街で、今回は物質の変容や身体、生命を扱う作品が強く心に残った。ただ、作品の背景を知ると、それらが具体的な社会や歴史と切り離せないことも見えてきた。

床に琥珀色の面が広がるのは、二人組の作家Goldin+Senneby(ゴールディン+セネビー)の《Resin Pond》だ。素材は松脂である。公式ガイドは、松脂には木を害虫や菌から守り、傷を覆う働きがある一方、人間にとっては工業利用できる資源でもあると説明している。[6]

同じ物質でも、木の側から見るか、人間の用途から見るかで意味が変わる。経済の言葉で「資源」と呼んだ途端に、利用する側の視点が中心になる。では、その呼び方からこぼれる働きは何なのか。目の前の光沢を見ながら、何を価値として数えているのかを考えた。

もう一つは、フィリピンの作家キリ・ダレナの《Life Masks》シリーズ。石膏のマスクで顔を覆った人々を撮影した作品で、公式ガイドによると、活動家や文化の担い手、国家暴力の影響を受けた家族などを写している。[6]

顔の表情は見えない。それでも、並んで座る姿や手の置き方、着ている服から、そこに人が暮らしていることは伝わってくる。一方で、その姿だけから相手の経験を分かったつもりになることはできない。「身体や生命の表現」とまとめるだけでは、具体的な生活や歴史を取り落としてしまう。身体を通じて社会を見るとは、目の前の人について自分は何を知らないのかを問うことでもあるのだと思う。

作品をすぐに理解できなくても、前に立ち続けることで、最初とは違う疑問が生まれる。光州では、判断を急がずに見る時間そのものが、自分の問いを変えていった。

4 北村の展覧会で体験した他者との距離

ソウル・北村のFUTURA SEOULで観たのは、英国のアーティスト、エス・デヴリンの個展「3rd Poem: Es Devlin, Come Home Again」だ。舞台美術や公共空間の大型インスタレーションを手がけるデヴリンは、光や音、映像を使い、鑑賞者が空間に身を置くことで展開する作品をつくっている。[7][8]

入口の《Infinite Library》は、書斎のように本が並ぶ空間である。本棚に鳥や手の映像が重なり、静かな棚が表情を変える。やがて本棚そのものが開き、先へ進めるようになる。知識を収める場所だと思っていたものが、自分の身体を通過させる入口になる。その転換が、展示を見る感覚を切り替えていく。

扉の向こうには、鏡で構成された《Mirror Maze》がある。映り込むのは自分だけではない。見知らぬ鑑賞者の姿も重なり、実際の空間と反射の境目が揺らぐ。自分の姿を追っているはずなのに、他の人の動きが視線に入ってくる。作品を見る自分も、隣の人が見ている風景の一部になっていた。

さらに進むと、天井の高い空間に《Come Home Again》が現れる。鳥や昆虫、植物などの姿が、光や音、人の声とともに立ち上がる。直前まで鏡の中で他の鑑賞者を意識していたためか、ここでは、人間以外の生命も同じ世界に場所を持つ存在として感じられた。

「home」という言葉が、人の住まいから、ほかの生命も暮らす環境へと広がっていく。本棚、鏡、生き物たちという順序を歩いて経験したことが、私には大きかった。「共存」という言葉の意味を、自分の立つ位置や周囲との距離から考え始めていた。

デヴリンの公式略歴には、観客を一時的な社会として捉える制作姿勢が紹介されている。[8] 名前も背景も知らない人たちと、同じ光や音を受け取り、互いの姿を視界に入れる。その説明は、鏡の空間での実感と重なった。

もちろん、感動したからといって日常の行動がすぐに変わるわけではない。それでも、展示室を出たあとに、共に暮らす相手の範囲を考え直すことはできる。「Come Home Again」という題名は、私には、誰をこの家の住人として数えるのかという呼びかけとして響いた。

5 韓国の旅から考える文化の持続力

今回の旅では、国際的なフェアの集客力と、異なる性格の展覧会を訪ねられる環境が重なっていることを、韓国アートの強みとして感じた。作品を買う人も、買わずに見る人も、それぞれの関わり方を持てる。その広がりが、アートを一部の人の関心から、都市の文化へと定着させていく。

文化を支えるには、異なる長さの時間を見る必要がある。会期中の売上や来場者数は比較的早く確認できる。一方、作家が表現を深め、鑑賞者が自分の目を育て、研究が評価を定着させるまでには時間がかかる。継続して創作できる人や、地域で鑑賞する機会が増えたかも、支援の成果として確かめたい。

作品を収集する人や企業にも、その時間を支える方法がある。作品の背景を調べ、展覧会への貸出や公開を通じて、他の人が見る機会をつくる。購入後の関わりによって、作品が新しい鑑賞者や研究に出会うこともある。自分が心を動かされた作品を、次の誰かの鑑賞へつなぐ。その役割は小さくない。

日本で国際的なアートイベントを育てる際にも、会期中の成果とともに、その後に何が残るかを考えたい。作家や工芸の担い手の仕事を研究や翻訳、展示によって伝え、海外の鑑賞者と継続的に結ぶ。支援する側の期待に収まらない表現にも活動の余地を残すことが、文化への長期的な信頼につながると思う。

ソウルの会場で作品を選び見るときと、光州や北村の展示空間に身を置くときとでは、私自身、アートとの距離が変わった。その違いを一つの旅で経験できたことが、今回の訪問の豊かさだった。作品の前で立ち止まり、誰かと話し、また見に行く。その時間の積み重ねが、都市の文化をつくっていくのだと思う。

筆者について

藤井竜平(ふじい・りゅうへい)

金融実務家。ニューヨーク10年、中東8年の計18年間にわたる海外勤務を経験し、中東では現地法人社長や地域統括を務めた。海外勤務時から各国のアートフェアや展覧会を訪れ、アート関係者や愛好家との交流を重ねる。金融・経営の実務と現地での鑑賞経験をもとに、アートと経済、都市、社会の関わりを考察する。

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本稿は、筆者個人のSNSへの投稿をもとに再構成したものであり、所属・関係先の公式見解を示すものではありません。また、本文の著作権は筆者に帰属します。

参照資料

開催・政策・作品情報は2026年9月21日時点の公表資料に基づく。予算案は将来計画を示す。鑑賞場面と感想は筆者の訪問記録による。