イタリア・トスカーナ。
歴史に磨かれたこの地には、数えればきりがないほどの銘醸ワインが存在します。キャンティ・クラシコ、ブルネッロ・ディ・モンタルチアーノ、ヴィーノ・ノービレ・ディ・モンテプルチアーノ。いずれも伝統と格式を誇る銘柄で、ワイン愛好家なら一度は耳にしたことがあることでしょう。
しかし、そこから、やがて世界の常識を覆す存在が現れます。後に「スーパータスカン」と呼ばれることになる、“異端児”たちです。
1970年代当時、イタリアでは厳格なDOC制度によって、使用できるブドウ品種や栽培地域、熟成方法まで細かく定められていました。ワインは制度によって守られていた一方で、その枠組みは造り手たちの自由な発想を制限する側面も持っていたのです。
そんな時代に、サッシカイア(Sassicaia)やティニャネロ(Tignanello)といったワインが、静かに既存のルールを書き換え始めました。彼らは伝統的なサンジョヴェーゼだけにこだわらず、カベルネ・ソーヴィニヨンやメルロといった国際品種を大胆に取り入れ、自らが「本当に美味しい」と信じる味わいを追求したのです。
皮肉にも、こうして生まれたワインの多くは、当初「規格外」と見なされ、格下のテーブルワインとして扱われました。しかし市場は、格付けではなく品質そのものに反応します。圧倒的な完成度を誇るスーパータスカンは瞬く間に世界の注目を集め、イタリアワインの価値観を根底から変えていきました。
そして現在、かつて“異端児”と呼ばれたワインたちは、今や世界のオークション市場を代表する存在となっています。スーパータスカンとは、単なる高級ワインの名称ではなく、「常識を超えてでも理想を追い求めた精神」そのものであり、イタリアワイン史におけるひとつの革命だったのです。
スーパータスカンの聖地ともいえるのが、ボルゲリです。トスカーナの西岸、ティレニア海に面したこの土地は、トスカーナの内陸に広がる丘やオリーブ畑とは全く異なる表情を見せます。
実際にボルゲリを訪れたとき、目の前に広がっていたのは、まばゆいほどの海の光と、潮風に揺れるブドウ畑でした。穏やかな空気の中に、どこか研ぎ澄まされた緊張感が漂う。そんな場所でした。スーパータスカンの原点を肌で感じることができ、まさに感動そのものでした。
この地域は、主に砂質の土壌を持ち、優れた排水性に恵まれています。さらに、日中の強い日差しと夜の冷たい海風のおかげで、昼夜の気温差がしなやかな酸を育みます。このテロワールが唯一無二のワインを生み出すのです。
スーパータスカンとの出逢いは、20代でした。そんなある日、口にした「マセット(Masseto)」。もともとボルドー系のワインに興味がありましたが、イタリアで造られるメルロ100%のワインにこれほど心を動かされるとは思ってもみませんでした。
その優雅さと官能性に一瞬で心を奪われると同時に、自分がメルロを好んでいることを知った瞬間でもありました。
名門オルネライア(Ornellaia)が所有する、わずかな粘土質土壌の畑から生まれるマセットの単一区画ワインは、1980年代に誕生して以来、イタリアを代表するメルロとして世界的評価を築いてきました。
多くのワイナリーがブランドを拡張し、様々なキュヴェを展開する中で、マセットは一貫して、メルロ単一に向き合い続けています。その一点物のような存在感こそが、マセットの希少性を際立たせているのです。
その味わいは、ボルドーに匹敵する完成度でありながら、決して模倣ではありません。そこには、国際的な品質基準を持ちながらも、土地の個性を貫こうとするトスカーナの哲学が宿っています。
ボルドーやブルゴーニュには長い歴史の中で完成された伝統があります。一方、スーパータスカンは、比較的新しい存在であり、その歴史は、いまなお進化の途上にあります。伝説が形成される過程に立ち会えるからこそ、魅力があり、面白みがあるのだと思います。
歴史ある銘醸地への敬意を持ちながらも、既存の価値観に依存せず、自らのテロワールを世界基準へ押し上げた。その姿勢こそ、多くのワイン愛好家を惹きつけてやまない理由なのではないでしょうか。